渋谷すばると関ジャニ∞とボヘミアン・ラプソディと私と
映画『ボヘミアンラプソディ』を見ました。
Queenのことはそんなに詳しいわけではなく、有名な曲を数曲と、ボーカルのフレディ・マーキュリーはエイズで亡くなった…など断片的なことしか知りませんでした。
でも、130分近くある映画の上映中、半分は泣いていた気がします。
音楽を作る苦しさと楽しさ、慣習に縛られずチャレンジを恐れないこと、そして『バンドは家族』という言葉。
ステージ上ではスターだけど、彼らは間違いなく現実を生き、悩み、苦しみながらもがく一人の人間たちで、『ファン』が見ることができるのはそのほんの僅かな一面にすぎないんだということ。
けれども、最高の『ライブ』を共有することが出来るということ。
eighterさんたちの間で話題になっていたことは知っていましたが、観てみたらやっぱり重ねてしまいました。
孤独に苦しみ、賛否両論を浴びながら、それでも唯一無二のパフォーマンスと素晴らしい歌で観衆を沸かせるフレディに。
渋谷すばるさんを思わずにいられませんでした。
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私が関ジャニ∞、そして渋谷すばるさんに出会ったのは約10年前になります。
ビジュアルももちろんですが、何より彼の歌に惹かれました。
絞り出すように、吐き出すように、叩きつけるように、嘆くように、叫ぶように、優しく包み込むように…
この人、歌い終わったら死んでしまうんじゃないか。
そう思ってしまうくらい、すべてを振り絞って歌う人でした。
それほど命懸けで歌う人から目を離せなくなってしまいました。
誤解を恐れずに言えば、なんでこの人ジャニーズでいてくれてるんだろう?と思うこともありました。
ジャニーズには歌が上手い人たちがたくさんいますが、すばるさんの歌は私には特別でした。
たぶん、eighterのみなさんにとってもそうなんじゃないかなって(勝手に)思っています。
だから、いつかすばるさんの歌を生で聴ける日を、ライブにいく日を心待ちにしていました。
ここからは私事ですが、この春まで学費を自分で出していたので自由に使えるお金があまり多くありませんでした。
なのでファンクラブに入ったり出来ず、もちろんライブにも行ったことがありませんでした。
今年の4月から比較的お金が使えるようになり、関ジャニ∞を好きになって10年以上経って初めてファンクラブに入りました。
それが4月13日のことでした。
すでにツアーは発表されていて、ようやくすばるくんに会える!すばるくんの歌が聴ける!とうきうきしていました。
そして、4月15日。
スマホを開いて固まるなんていうことが、本当にあるんだなあと思いました。
このことについて今更あれこれ言うのもよくないとは思うんですけど。
嫌だ、嘘だ、辞めないでくれ、と思って泣きました。
ただ、頭のどこかに冷静な自分もいて、そうか、すばるくんがそう決めたんだな、じゃあしょうがないな、とも思っていました。
私が思うよりも渋谷すばるは歴とした1人の人間なんだということを、一番望まない形で知ることになりました。
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もちろん、関ジャニ∞の渋谷すばるの歌は物理的には半永久的に残ります。
無かったことにはされないでしょう。
そして、これから先いつかは分からないけど、きっと渋谷すばるの歌を聴くことは出来るんじゃないかと思っています。
ライブをしなきゃ生きていけない人のような気がしているから。
でもやっぱり私は、一番最初に好きになった『関ジャニ∞の渋谷すばる』の歌が生で聴きたかった。
『関ジャニ∞の渋谷すばる』として、7人でわちゃわちゃしているところを見続けたかった。
自分のタイミングの悪さに何度悔しくなったことか!!
借金してでもライブ行けばよかったかなとか!!
馬鹿みたいなことも考えました。
それくらい追いかけていたつもりでした。
でも彼は追い縋ることも許さず、去ってしまいました。
すばるくんらしいと言えばそうかもしれないですね。
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話を戻しますが、会見の後にツアーの申し込みが始まります。
でも私は申し込みが出来ませんでした。
ようやくファンクラブ入れたのに、一度もライブ行かず終わるのかも…なんて思ったりもしました。
その後、怒涛のレギュラー番組『卒業』ラッシュ、音楽番組での姿を見納めに、渋谷すばるは関ジャニ∞という看板を下ろしました。
7人最後の関ジャムは、見てる最中も見終わった後も呆然としていました。
その1週間後、関ジャニ∞は6人体制での初めてのライブに臨みます。
情報番組でその姿は見たし、レポもたくさん読みました。
その時感じたのは、一番追いかけた人がいないという虚無感ももちろんですが、
悲しみと苦しみと戸惑いは当然だと、それを隠そうとはせず、それでもなお力強くあろうとするカッコイイ関ジャニ∞の姿でした。
本当のところは彼らにしか分からないし、今後も絶対教えてくれることはないんだろうけど、
すばるくんが辞める決断が出来たのは、メンバーへの絶対的な信頼があったからこそなんだな、と腑に落ちました。
担当と言われればすばるくんだけど、関ジャニ∞が大好きで応援してきた身としては、これからも6人の関ジャニ∞を応援していきたいな、と思えました。
その後、台風で延期になった分の振替公演、そして凱旋公演となる大阪2daysの追加公演が発表されました。
偶然その土日に関西に行く用事があり、これは神様がくれたチャンスなんじゃないかと思い、申し込み開始と同時に追加公演に申し込みました。
そしたら18日追加公演にまさかの当選。
(倍率的に無理だろうと思っていた)
震えながら当日ドームへ向かいました。
すばるくんのいない関ジャニ∞を見てどう思うんだろう?
すばるくんのパートを違うメンバーが歌うのを聴いてどう思うんだろう?
楽しみである反面、そんな不安もたしかにありました。
でも、そんな気持ち、彼らにぜ〜〜んぶ吹き飛ばされました。
オリジナルアルバムではなくベストアルバムを引っさげてのツアーだったからこそ、これまで彼らが『7人で』歩んできた日々を確かに感じながら、
けれども確かにグループとしてまた1つ違う扉を開けようとしている、そんな印象でした。
すばるくんの名前は一度も出さなかったし、しんみりした話も全くしなかった。
それは個人的には少し寂しいことではあったけど、同時に関ジャニ∞の芯の強さを痛感もしました。
あー楽しかった!って言いながらニコニコで帰ってこれました。
それは確実に6人の、関ジャニ∞の、強さのおかげです。
でも、なんだか、徐々に、じわじわ頭を占めてくる思いがひとつ。
やっぱり、やっぱり、寂しいな〜〜って。
6人になっても関ジャニ∞のことを応援し続けたいです。
物足りないとか思わせないように、6人でベストを尽くしてくれていることは痛いほどに分かっています。
関ジャニ∞は6人でも、最高にカッコイイです。
最高にカッコイイ人たちを好きになったことで、こんなに苦しくなるなんて思わなかった。
その中にすばるくんがいないことが、すばるくんの声が聞こえないことが、すんごく寂しくて。苦しくて。
そう思ってしまっていることが申し訳なく感じてしまい、たぶんわたしはしばらく関ジャニ∞のライブに行くべきじゃないんだろうなと、思いました。
なんかマイナスなことを言ってるような気がしますが、決してそうではなく、私はライブに初めて行って改めて関ジャニ∞を好きになってよかった!と心から思いました。
かっこよくて仲が良くて面白いグループは他にもあるし、どんなグループにもそれぞれに魅力がありますが、
多くのeighterにとってたぶんそうであるように、私にとって関ジャニ∞は唯一無二の存在です。
8人でも、7人でも、6人でも変わりません。
だからこそ、ステージに立つ6人に自分が申し訳なさを感じてるうちは、テレビの前から応援するのに留めておこうと思います。
大好きな彼らに心から『大好き』を届けられるようになるまでは。
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小さな体でステージの真ん中に堂々と立って、会場の全員の意識を強引に奪っていくあの人の姿に、たくさんの人が恋い焦がれている。
彼が声を出すために息を吸いこむ瞬間、誰もが息を止める。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の中で、バンド内のパワーバランスについて揶揄するメディアに対し、フレディが『自分はただのリードボーカルだ』と言うシーンがあります。
外野からは分からない、バンドだけの、グループだけの関係性が、きっとあるんでしょう。
すばるくん自身がグループ内の自分の位置をどう思っていたかは分からないけど、彼はきっとフレディと同じように、音楽においても普段の生活においてもメンバーみんなを信頼し、大切に思っていただろうと確信しています。
ただ、やっぱり彼は歌うことに人並みならぬこだわりを持っていたし、関ジャニ∞のメインボーカルであることに誇りを持っていたんじゃないかな、とも思うんです。(オタクの妄想ですかね)
外野からすれば、渋谷すばるは確かに、関ジャニ∞のメインボーカルだった。
だからこそ、楽しみで仕方ない。
その環境を捨てても音楽を追求したいと言った彼が、次にどんな歌を聴かせてくれるのか。
圧倒的なボーカルを失ってもなお、より一層力強く歌い続ける関ジャニ∞が、次はどんな景色を魅せてくれるのか。
楽しみで仕方ない。
時々彼の姿を探したり1人少ないことに違和感を感じたり、そういう寂しさを隠しはしないけど、私たちは未来を楽しみに出来る。
私は本当に、大変な人たちを好きになってしまった!
こんなに楽しみが多い人生、彼らに出会わなかったらあり得なかった。
関ジャニ∞のみなさんに、心から感謝しています。
ありがとう。愛してます。
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映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、当然ながらQueenの曲がサントラに使われています。
そんなわけでもちろんエンディングもQueenの曲なわけですが、そのセレクトにはかなりの意味が込められていると思わされます。
去りし日は伝説になり、決して色褪せることはない
ショウは始まってしまった
何があっても止めることはできない
The Show Must Go On